理想と現実の間で
2004年 11月 08日
今日の勉強に関して、ゆうべ素晴らしい計画を立てたのだ。
朝8時ー12時
昼1時ー5時
夜8時ー12時
合計12時間の勉強。今日これができたら、だらだら生活と手を切って試験日まで一気に波に乗れるのではないか。そう考えた。
そして朝。眠かったので心は早くも挫折ぎみ。夫を送り出したら即、二度寝しようと決めた。しかし、お弁当を作っているうちに次第に目が覚めてきた。気が変わらないうちに、さっさとコンタクトレンズを入れてしまう。メガネをかけているうちはまだ寝てやるぞ、という気持ちでいるのだが、朝コンタクトを入れるということは、とりあえず二度寝はしないという自分に対する決意なのである。まあ、コンタクトを入れても寝ようと思えば寝られるのだが。
計画では8時から勉強。8時まで新聞を読み、8時になったからさあ勉強だ。しかし、決意とはウラハラに、なぜか「翻訳文学ブックカフェ読書リスト」を作り始める。約五十冊。これを図書館で借りられるものには△印を記入、購入したら○印を記入。読んだらリストにチェックを入れる。集中して読んでも月10冊くらいしか読めないだろうから、全部読むのに5ヶ月かかる。まるで長い長い夏休みのようだ・・・そんなことを考えてワクワク、にやにやする。
9時を過ぎて、ようやくハッとして、さあ勉強、しかしその前に散乱している本をとりあえず積み重ねておこう、と思う。すると、買ったばかりの本が2冊、見つからないことに気づいた。それは勉強関係の本ではないので、当座は読むつもりはない。しかし、どこに行ったか非常に気になる。それが出てこないと気になって勉強どころじゃない。本棚に片付けたのだろうかと思って見に行っても、ない。もしかしたら間違って書店のビニール袋に入れたまま捨ててしまったのだろうか? 私は、今まで小銭入れをなくしたことは一度だけあるが、本をなくしたり置き忘れたりしたことはないのである。とてもショックだ。こんなに探しても出てこないということは、やはり捨てたか置き忘れたのだろうか。と思いながら何度目かの書棚探しの結果、料理本のコーナーに埋もれているそれら二冊の本を発見。そういえば、これらの本を買った日、書棚にスペースを作るのが面倒くさくてとりあえずここに置いておこう、今度また置き直そうと思って自らその料理本コーナーにごちゃっと置いたことを鮮明に思い出した。
そして、当座は読むつもりのなかったその本を、出てきたのが嬉しくてつい、読んでしまったりするわけである。
そんなこんなで結局午前中いっぱい潰れた。意志薄弱。
お昼ごはんを食べて、1時から勉強。のはずか、おなかがいっぱいになると急に眠気と本探しの疲れが出てきて寝てしまったりするわけである。起きたら5時過ぎ。なにやってんだろう、まったく。
夕方、ようやく勉強始めるぞと思っても、今度は消しゴムの紙ケースの下のほうが潰れてきっちり消しゴムが入っていないのが気になって気になって勉強が手につかず、それを直したりする。とにかく、勉強する以外のことならなんでもしてしまうわけである。
そして、消しゴムが直ったら今度はシャーペンが気になる。あれでもない、これでもない、と取っ換え引っ換えした挙句、普段ほとんど使わない鉛筆なんぞを引っ張り出してきて、鉛筆削りで削ってみたり。
ところが意外にこれが良かった。鉛筆の芯と木の匂いを嗅いでようやく気持ちが勉強モードになった。今より多少は集中力があった小学生時代が蘇ってきたのだろうか。あるいはただ単に、昼寝もして気持ちがすっきりし、夜になって集中力がようやく出てきてくれただけなのかもしれない。私は夜型なのである。少なくとも結婚するまではそうだった。
しかしようやく集中できるようになったと思ったら、そろそろ夫が帰ってくるからその前に本日の日記を書いておこ、とパソコンに向かっている。
そんなにいやならもう勉強なんてやめてしまえ! しかし、勉強したくないわけじゃない。勉強が嫌いだというわけではないのだ。大好きなんです、中国語の勉強(ホンマかいな)。
ただ、どうしても集中できないだけで。
これはどうしてなんだろう。深層心理が落ちたときの言い訳を自分のために作っているのだろうか。勉強しなかったから不合格だった、と。勉強しさえすれば、合格できたのだよ。う~みんは決してバカじゃない。何も恥ずかしいことじゃない、次がんばればいいんだから。みたいな感じか?
いやいや、ただ怠惰なだけだ。やくたいもないこと書いていないで、勉強しよ。でもその前に晩御飯作らなくっちゃ。
そもそも12時間勉強というのが私には不可能なのだろうか。無理なことは始めから考えないに限る。しかし、明日もまたこの計画で行ってみるつもりだ。
朝8時ー12時
昼1時ー5時
夜8時ー12時
合計12時間の勉強。今日これができたら、だらだら生活と手を切って試験日まで一気に波に乗れるのではないか。そう考えた。
そして朝。眠かったので心は早くも挫折ぎみ。夫を送り出したら即、二度寝しようと決めた。しかし、お弁当を作っているうちに次第に目が覚めてきた。気が変わらないうちに、さっさとコンタクトレンズを入れてしまう。メガネをかけているうちはまだ寝てやるぞ、という気持ちでいるのだが、朝コンタクトを入れるということは、とりあえず二度寝はしないという自分に対する決意なのである。まあ、コンタクトを入れても寝ようと思えば寝られるのだが。
計画では8時から勉強。8時まで新聞を読み、8時になったからさあ勉強だ。しかし、決意とはウラハラに、なぜか「翻訳文学ブックカフェ読書リスト」を作り始める。約五十冊。これを図書館で借りられるものには△印を記入、購入したら○印を記入。読んだらリストにチェックを入れる。集中して読んでも月10冊くらいしか読めないだろうから、全部読むのに5ヶ月かかる。まるで長い長い夏休みのようだ・・・そんなことを考えてワクワク、にやにやする。
9時を過ぎて、ようやくハッとして、さあ勉強、しかしその前に散乱している本をとりあえず積み重ねておこう、と思う。すると、買ったばかりの本が2冊、見つからないことに気づいた。それは勉強関係の本ではないので、当座は読むつもりはない。しかし、どこに行ったか非常に気になる。それが出てこないと気になって勉強どころじゃない。本棚に片付けたのだろうかと思って見に行っても、ない。もしかしたら間違って書店のビニール袋に入れたまま捨ててしまったのだろうか? 私は、今まで小銭入れをなくしたことは一度だけあるが、本をなくしたり置き忘れたりしたことはないのである。とてもショックだ。こんなに探しても出てこないということは、やはり捨てたか置き忘れたのだろうか。と思いながら何度目かの書棚探しの結果、料理本のコーナーに埋もれているそれら二冊の本を発見。そういえば、これらの本を買った日、書棚にスペースを作るのが面倒くさくてとりあえずここに置いておこう、今度また置き直そうと思って自らその料理本コーナーにごちゃっと置いたことを鮮明に思い出した。
そして、当座は読むつもりのなかったその本を、出てきたのが嬉しくてつい、読んでしまったりするわけである。
そんなこんなで結局午前中いっぱい潰れた。意志薄弱。
お昼ごはんを食べて、1時から勉強。のはずか、おなかがいっぱいになると急に眠気と本探しの疲れが出てきて寝てしまったりするわけである。起きたら5時過ぎ。なにやってんだろう、まったく。
夕方、ようやく勉強始めるぞと思っても、今度は消しゴムの紙ケースの下のほうが潰れてきっちり消しゴムが入っていないのが気になって気になって勉強が手につかず、それを直したりする。とにかく、勉強する以外のことならなんでもしてしまうわけである。
そして、消しゴムが直ったら今度はシャーペンが気になる。あれでもない、これでもない、と取っ換え引っ換えした挙句、普段ほとんど使わない鉛筆なんぞを引っ張り出してきて、鉛筆削りで削ってみたり。
ところが意外にこれが良かった。鉛筆の芯と木の匂いを嗅いでようやく気持ちが勉強モードになった。今より多少は集中力があった小学生時代が蘇ってきたのだろうか。あるいはただ単に、昼寝もして気持ちがすっきりし、夜になって集中力がようやく出てきてくれただけなのかもしれない。私は夜型なのである。少なくとも結婚するまではそうだった。
しかしようやく集中できるようになったと思ったら、そろそろ夫が帰ってくるからその前に本日の日記を書いておこ、とパソコンに向かっている。
そんなにいやならもう勉強なんてやめてしまえ! しかし、勉強したくないわけじゃない。勉強が嫌いだというわけではないのだ。大好きなんです、中国語の勉強(ホンマかいな)。
ただ、どうしても集中できないだけで。
これはどうしてなんだろう。深層心理が落ちたときの言い訳を自分のために作っているのだろうか。勉強しなかったから不合格だった、と。勉強しさえすれば、合格できたのだよ。う~みんは決してバカじゃない。何も恥ずかしいことじゃない、次がんばればいいんだから。みたいな感じか?
いやいや、ただ怠惰なだけだ。やくたいもないこと書いていないで、勉強しよ。でもその前に晩御飯作らなくっちゃ。
そもそも12時間勉強というのが私には不可能なのだろうか。無理なことは始めから考えないに限る。しかし、明日もまたこの計画で行ってみるつもりだ。
by wumingzhi
| 2004-11-08 21:13
| 学中文