五年日記
2006年 07月 24日
五年日記を使っている。
結婚した2002年から始め、今年で5年目、最後の年である。
最初の1年は結構白紙の日も多かったが、2年目からはほとんど欠かさず、まあ翌日に書いたりもしているが。
毎日必ず過去の記述を読むわけではないが、ふと目に入ると「ああ、こんなことがあったか」と感慨深い気持ちになることもある。
妊娠が発覚したのは去年の今頃だった。1年後には生まれて、しかもこんなにでかくなっているとは想像もできなかった。
最初の年に空白が多かったが、空白の裏にも読み取れることがある。この時期は結構悩んで落ち込んでいたな、とか。
結婚して、子供がすぐ欲しかったのになかなかできなくて、とっても暗かったのだ。
楽しいことも数多くあった、いや楽しいことがほとんどだったけれど、この一点に縛られて、このことが生活のすべてに影を落としていた。
不妊治療をしていた頃は、出口の見えないトンネルの中にいるようだった。
3年後でも5年後でも、何年かかってもいい、いつか子供に恵まれるということを知ることができれば、そのときまで暗く悩まず楽しい生活を送れるのに・・・。あるいはできないのならできないということを知ることができるなら。自分の未来をちょっとのぞいてみたい・・・。
日記を書きながら、来年には、再来年には、せめてこの日記帳の最後の欄には、子供のことを書いていたい。そんなふうに心の中で祈っていた。
その願いが叶ったことになる。
娘をちらっとでも、この頃の自分に見せてやることができればなあ。写真でもいい。
過去に戻ることもできないし、未来をのぞき見ることもできない。
でも、人は過去なしには生きられない(←高校の頃憧れていた哲倫の先生が言っていたコトバ)。娘の写真は見せてやれないが、夫や娘、周りの人たちや友人たちに感謝して、明るく楽しく真面目に日々を生きることが、過去の自分に対してできる唯一のことかもしれぬ。
今年で今の日記帳が終わるから、来年からはまた新しくなる。過去の記述がないのは物足りなくてつまらないなあ。来年からは思い切って十年日記にしてみようか?
結婚した2002年から始め、今年で5年目、最後の年である。
最初の1年は結構白紙の日も多かったが、2年目からはほとんど欠かさず、まあ翌日に書いたりもしているが。
毎日必ず過去の記述を読むわけではないが、ふと目に入ると「ああ、こんなことがあったか」と感慨深い気持ちになることもある。
妊娠が発覚したのは去年の今頃だった。1年後には生まれて、しかもこんなにでかくなっているとは想像もできなかった。
最初の年に空白が多かったが、空白の裏にも読み取れることがある。この時期は結構悩んで落ち込んでいたな、とか。
結婚して、子供がすぐ欲しかったのになかなかできなくて、とっても暗かったのだ。
楽しいことも数多くあった、いや楽しいことがほとんどだったけれど、この一点に縛られて、このことが生活のすべてに影を落としていた。
不妊治療をしていた頃は、出口の見えないトンネルの中にいるようだった。
3年後でも5年後でも、何年かかってもいい、いつか子供に恵まれるということを知ることができれば、そのときまで暗く悩まず楽しい生活を送れるのに・・・。あるいはできないのならできないということを知ることができるなら。自分の未来をちょっとのぞいてみたい・・・。
日記を書きながら、来年には、再来年には、せめてこの日記帳の最後の欄には、子供のことを書いていたい。そんなふうに心の中で祈っていた。
その願いが叶ったことになる。
娘をちらっとでも、この頃の自分に見せてやることができればなあ。写真でもいい。
過去に戻ることもできないし、未来をのぞき見ることもできない。
でも、人は過去なしには生きられない(←高校の頃憧れていた哲倫の先生が言っていたコトバ)。娘の写真は見せてやれないが、夫や娘、周りの人たちや友人たちに感謝して、明るく楽しく真面目に日々を生きることが、過去の自分に対してできる唯一のことかもしれぬ。
今年で今の日記帳が終わるから、来年からはまた新しくなる。過去の記述がないのは物足りなくてつまらないなあ。来年からは思い切って十年日記にしてみようか?
by wumingzhi
| 2006-07-24 22:53
| 生活