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三重県津市でヨガを教えています。ヨガのことだけでなく、日々のいろんなことを書いていきます。


by NAO
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第二の誕生日 Ⅱ

子どもの頃から、努力すれば報われるものだと教わってきた。勉強だってなんだって、できないのは努力しないからで、やる気さえ出せばできないことは何も無い。幸運にもこれまで進学、仕事、結婚…挫折ということを知らず何でも手に入れてきた。結婚したら子どもが欲しい、というのは夢でもなんでもなく、ごく当たり前のことだと思っていた。当たり前のことがこんなに難しいとは知らなかった。当たり前と思っていたからこそ、自分が一生子どもを産めないかもしれない、という可能性を受け入れることは難しかった。そんなことは考えられなかったし考えたくもない。そんなことは耐え難かった。自分では努力の仕様もなく、ただ手をこまねいて見ているだけというのは、私の性には合わない。虚しく辛い日々だった。楽しいことがないわけじゃない。夫とは仲が良く、普通なら幸せいっぱいの新婚生活のはずである。確かに夫と居るときは楽しく幸せだった。けれど日中、一人で居るときは子どものできないことを考えて毎日1度は泣いていた。

この頃が精神的には最悪の時期だったと思う。今思うと、泣いても笑ってもできるものはできるし、できないものはできないのなら、同じことなら笑って過ごせばいい。当時はそういうふうに考えることはできなかった。そして、自然と世間も狭くしていた。実家に帰っても、友達と会えば子どもの事を聞かれるかもしれない、と思うと人に会うのが怖くて付き合いを絶つような具合だった。

私は特に子ども好きというわけではない。全女性を子ども好き順に並べたら、少なくとも真ん中より下に入ることは確実と思われる。ただ、夫と出会って初めて、この人の赤ちゃんが欲しいと思ったし、それはごく自然の感情だった。そして、女として生まれたからには持って生まれた自分の機能をフルに使ってみたかった。食欲や性欲だけでなく、生殖欲とでも呼ぶのだろうか、妊娠・出産という、人生でそうそう何度もないイベントを経験したいという欲望があった。
不妊治療って、0か100しかない。妊娠してナンボの世界である。今回は受精卵まで行ったから85点だ、というふうにはならない。そしてがんばったからうまくいくというものでもない。自分ではどうしようもないということにずっともどかしさを感じていた。もし自分で何か努力したら妊娠できるのなら、私は喜んでしただろう。例えば毎日100回腹筋運動をすれば妊娠できる、というのなら私はしただろう。毎日10キロ走れば妊娠できる、というのなら私は走っただろう。しかし現実には、自分にできることはなかった。人任せ、運任せである。


顕微受精のための採卵を行い、受精卵を子宮内に移植する。それを二度行い、二度とも妊娠しなかった。

二度目の採卵時にできた余剰胚(受精卵)を凍結していたものを、翌月移植した。初めて妊娠反応が出た。それが去年の8月のこと。
晴れて妊娠反応が出たものの、手放しで喜べるような状況ではまったくなかった。
尿検査では+が出たものの、まだエコーで胎嚢が確認できる時期ではない。いちおう来年の4月26日が予定日だと言われたが、ピンと来なかった。胎嚢が確認できるまでの数日間、緊張で寝不足の日が続いた。
胎嚢が確認できても、次は心拍確認で、乗り越えねばならないハードルはとてつもなく高く思われた。

胎嚢は少しずつ大きくなっていくが、成長するスピードは遅いように思えた。先生はこんなもんだ、と言うが、週数を指折り数えながら妊娠本を見ると、本や雑誌に載っているサイズは私のより随分大きい。気が気でなかった。

しかし、同時に、妊娠反応が出て以来、不妊で悩んでいた頃のドロドロとした暗い思いから一気に開放された。それはもう、手のひらを返したように。毎日のようにインターネットの不妊サイトを見ていたが、妊娠して以来、同じサイトを見ても、「私もこんなことで悩んでたんだわー」とまるで他人事。自分でもこうも気持ちが変わるのかと思った。

しかし、現実は甘くない。日が経っても胎嚢の成長が遅く、胎芽も見られない。病院の帰り道、一人どうやって帰ろうかと思った。駅のベンチに座って会社の夫に電話し、泣き崩れた。しかし、泣いてどうなるものでもない。翌日の夜中に少し出血があったが、意外と気持ちは落ち着いていた。妊娠したことが自分でも信じられず、自分の体内に生命が宿っているような気があまりなかったのは事実だ。けれど、最後まであきらめずにがんばろうと思った。何をどうがんばれば良いのかわからなかったものの。

数日後、病院に行ったがやはり心拍は確認できなかった。でも胎嚢は少し大きくなっていた。先生の言動から、今回は諦めるしかないということはわかったが、少しずつだけれど成長しようとしている赤ちゃんがけなげに思えて、具体的な処置の話を自分から切り出すことはできなかった。

五日後の検査で、かろうじて心拍が確認でき、奇跡が起こったと思った。けれど相変わらず少量の出血がある。先生からは安静を言い渡され、家で布団に横になってじっとしていた。今でも覚えているが、ひるがえるカーテンの向こうの青空を見ながら、ヒマなんだけれども退屈するには不安でいっぱいで、でもおなかに赤ちゃんがいるんだという充実感もあり、来年は海で思い切り泳ぎたいなと思ったり。

四日後の検査で、胎芽は成長しておらず(縮んでいた)、心拍とは呼べないほど拍動も弱かったため、流産の手術をすることに決まる。私としては、成長しなくても、自然に出てくるまで居たいだけおなかにいさせてやりたい思いで一杯だったが、今後のことを考えると手術するほうが良いらしかった。三日後に手術と決まる。
                                  Ⅲに続く
by wumingzhi | 2004-09-21 01:26 | 生活