さよならBaby 6 手術前
2005年 03月 19日
夫は9時頃そっちに行くと昨日言ってくれていたが、手術が3時となると随分間が開き退屈だろうと思ったから、そんなに早く来てくれなくてもいいよというメールを出しておいた。
8時45分、術衣に着替えて処置室に行き、点滴を受ける。点滴は先生が自らしてくれる。
点滴用のいい血管を捜すために私の腕を表返したり裏返したりしては指でべしべしと叩くのだが、男だけあってしっぺみたいに叩かれるだけでもこっちは結構痛いのである。子宮をこじ開けられて『棒』を入れられるのも異常な痛みだが、肉体をばしばし叩かれるのはまた別種の痛みがある。DV夫なんてやっぱりとんでもない話だな、とそのとき思った(というのは嘘で、今思った)。
無事に点滴が入ると、今度は内診台に移動して『棒』を入れ替える。
点滴台を引きずりながら下着を下ろして内診台に座るのが難しく、よろけて転びそうになり看護士さんを慌てさせた。相変わらずどんくさい奴だ、私は。2週間ばかり寝たり起きたりの生活だったから足腰が弱っていたのかもしれない。が、点滴台ごとひっくり返ったりしたらおおごとになりそうなので、転ばなくて良かった。
女性なら知っているかと思うが男性はもしかしてご存じない方もおられるかもしれないので一応説明しておきますと、内診台は歯科の椅子みたいになっていて、後ろに倒れる。その代わりと言ってはなんだが下半身のほうが持ち上がるようになっていて、足置きが付いていて、そこに足の裏を載せて医者のほうに向かってまかーっと両足を広げて座る。おなかの上の天井からカーテンが下がっている。
さて、ゆうべから『棒』を入れっぱなしだったのでもう子宮口はある程度開いているのでもう楽勝でしょう、と思っていた。が、それは甘かった。今度も痛かった。
くちばしクリップ(想像)で開かれるとき、もう痛くて痛くて、最初、出産のときみたいに「フー、フー、フー、フー」と息を吐いて痛みを散らしていたがやがてどうにも我慢できなくなり、「痛い、痛い~」とわめきだした。
看護士さんは、
「息を吐いて痛みを散らしてくださいっ」と言う。
脚をばたつかせたかったがそうすると余計に痛くなるだけだから、足載せ台の上の足の指十本をばたつかせるに留めておく。
新しい『棒』が入った。
入ってしまうとこっちの『棒』のほうが楽だった。
最初の『棒』は、痛みがなくなった後でも例の「タンポンが…的異物感」はずっと存在したが、新しいほうのやつはそれもなかった。海草が膨らむ前に抜けて落ちたんじゃないかとちょっと心配になったほど。
病室のベッドに横になると、ひとりでに涙が込み上げてくる。
痛い思いをしたからではない。こんな思いをしてまで手術をして、その結果が「無」である、ということがたまらなく切なかった。自分がぼろ雑巾になったみたいな気がして情けなさとみじめさで泣けてきた。寂しくて夫の顔が早く見たかった。でも、早く来なくていいというメールを出してしまった。やっぱり早く来て欲しい、というメールを送信してから数分も経たないうちに夫が仕切りのカーテンを開けて入ってきた。
私が一人で泣いているのを見て、何事かと思って驚いたらしかった。手を握ってもらった。
それから手術までヒマだった。点滴の速度は非常にゆっくりでちっとも減らない。
1本終わってナースコールで呼ぶとまた新しいのが入った。
もうこの点滴は飽きた。どうせならもっと楽しいやつを入れてもらいたかった。もっと笑えるやつとかサイケな世界にトリップできるやつとかを。しかし内容物は塩化ナトリウムとか生理食塩水ばかりで、いまいち面白みに欠ける奴らばかりなのだ。
ヒマながらもそれなりに時間は経っていく。
11時頃地震があった。このあたりは震度2だったらしいが、こんな場合だからびっくりした。もし手術中に起こっていたら、私は意識不明だからいいとしても夫は心配だっただろうと思う。
「もし手術中に大地震が起こって、先生や看護士さんたちがみんな逃げ出してしまったら、夫くん私を助けに来てね」
と言う。
「助けに行く」と夫は約束してくれる。
「やっぱり建物が倒壊したりしたら危険だから、私はいいから夫くんも逃げて」
と私。
「いいや、絶対助けに行くから」
と夫。
まあ、地震をネタにして甘えているわけである。いいではないか、ヒマだったし、こんな折でもあるし。
午後2時40分、トイレに行って排尿を済ませるとリカバリー室という部屋(出産直後の人が数時間休むための部屋だと思う)に移ってそこでストレッチャーに横たわる。
手術室はすぐそこだと思っていたら、エレベーターに乗って移動するらしい。なんかドラマみたい…と思う。
リカバリー室を出る前、夫に手を差し伸べたら夫は握ってくれた。
「がんばれ」と言われてうなづくのが精一杯。
ストレッチャーが動き出すと、涙がこぼれてきた。
エレベーターの前で夫は「ここまでです」と止められる。
実は私はエレベーターの前まで夫がついてきてくれていたことをそれで初めて知った。頭をブリッジみたいにのけぞらせて夫の方を見ようとした瞬間、エレベーターの扉が閉まって夫の姿を見ることができなかった。
8時45分、術衣に着替えて処置室に行き、点滴を受ける。点滴は先生が自らしてくれる。
点滴用のいい血管を捜すために私の腕を表返したり裏返したりしては指でべしべしと叩くのだが、男だけあってしっぺみたいに叩かれるだけでもこっちは結構痛いのである。子宮をこじ開けられて『棒』を入れられるのも異常な痛みだが、肉体をばしばし叩かれるのはまた別種の痛みがある。DV夫なんてやっぱりとんでもない話だな、とそのとき思った(というのは嘘で、今思った)。
無事に点滴が入ると、今度は内診台に移動して『棒』を入れ替える。
点滴台を引きずりながら下着を下ろして内診台に座るのが難しく、よろけて転びそうになり看護士さんを慌てさせた。相変わらずどんくさい奴だ、私は。2週間ばかり寝たり起きたりの生活だったから足腰が弱っていたのかもしれない。が、点滴台ごとひっくり返ったりしたらおおごとになりそうなので、転ばなくて良かった。
女性なら知っているかと思うが男性はもしかしてご存じない方もおられるかもしれないので一応説明しておきますと、内診台は歯科の椅子みたいになっていて、後ろに倒れる。その代わりと言ってはなんだが下半身のほうが持ち上がるようになっていて、足置きが付いていて、そこに足の裏を載せて医者のほうに向かってまかーっと両足を広げて座る。おなかの上の天井からカーテンが下がっている。
さて、ゆうべから『棒』を入れっぱなしだったのでもう子宮口はある程度開いているのでもう楽勝でしょう、と思っていた。が、それは甘かった。今度も痛かった。
くちばしクリップ(想像)で開かれるとき、もう痛くて痛くて、最初、出産のときみたいに「フー、フー、フー、フー」と息を吐いて痛みを散らしていたがやがてどうにも我慢できなくなり、「痛い、痛い~」とわめきだした。
看護士さんは、
「息を吐いて痛みを散らしてくださいっ」と言う。
脚をばたつかせたかったがそうすると余計に痛くなるだけだから、足載せ台の上の足の指十本をばたつかせるに留めておく。
新しい『棒』が入った。
入ってしまうとこっちの『棒』のほうが楽だった。
最初の『棒』は、痛みがなくなった後でも例の「タンポンが…的異物感」はずっと存在したが、新しいほうのやつはそれもなかった。海草が膨らむ前に抜けて落ちたんじゃないかとちょっと心配になったほど。
病室のベッドに横になると、ひとりでに涙が込み上げてくる。
痛い思いをしたからではない。こんな思いをしてまで手術をして、その結果が「無」である、ということがたまらなく切なかった。自分がぼろ雑巾になったみたいな気がして情けなさとみじめさで泣けてきた。寂しくて夫の顔が早く見たかった。でも、早く来なくていいというメールを出してしまった。やっぱり早く来て欲しい、というメールを送信してから数分も経たないうちに夫が仕切りのカーテンを開けて入ってきた。
私が一人で泣いているのを見て、何事かと思って驚いたらしかった。手を握ってもらった。
それから手術までヒマだった。点滴の速度は非常にゆっくりでちっとも減らない。
1本終わってナースコールで呼ぶとまた新しいのが入った。
もうこの点滴は飽きた。どうせならもっと楽しいやつを入れてもらいたかった。もっと笑えるやつとかサイケな世界にトリップできるやつとかを。しかし内容物は塩化ナトリウムとか生理食塩水ばかりで、いまいち面白みに欠ける奴らばかりなのだ。
ヒマながらもそれなりに時間は経っていく。
11時頃地震があった。このあたりは震度2だったらしいが、こんな場合だからびっくりした。もし手術中に起こっていたら、私は意識不明だからいいとしても夫は心配だっただろうと思う。
「もし手術中に大地震が起こって、先生や看護士さんたちがみんな逃げ出してしまったら、夫くん私を助けに来てね」
と言う。
「助けに行く」と夫は約束してくれる。
「やっぱり建物が倒壊したりしたら危険だから、私はいいから夫くんも逃げて」
と私。
「いいや、絶対助けに行くから」
と夫。
まあ、地震をネタにして甘えているわけである。いいではないか、ヒマだったし、こんな折でもあるし。
午後2時40分、トイレに行って排尿を済ませるとリカバリー室という部屋(出産直後の人が数時間休むための部屋だと思う)に移ってそこでストレッチャーに横たわる。
手術室はすぐそこだと思っていたら、エレベーターに乗って移動するらしい。なんかドラマみたい…と思う。
リカバリー室を出る前、夫に手を差し伸べたら夫は握ってくれた。
「がんばれ」と言われてうなづくのが精一杯。
ストレッチャーが動き出すと、涙がこぼれてきた。
エレベーターの前で夫は「ここまでです」と止められる。
実は私はエレベーターの前まで夫がついてきてくれていたことをそれで初めて知った。頭をブリッジみたいにのけぞらせて夫の方を見ようとした瞬間、エレベーターの扉が閉まって夫の姿を見ることができなかった。
by wumingzhi
| 2005-03-19 14:26
| さよならBaby