日々のこと


by wumingzhi
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カテゴリ:読書( 35 )

この作者の『お母さんという女』を読んだことがある。とても良かった。

旅行はあまり好きでなく、一人旅はしたことのない私だが、旅行記を読むのは好きなのである。

旅行が好きでないと書いたが、最近はそうでもない。小さな旅行は家族でちょこちょこ行っているが、どこに行っても楽しかった思い出ばかり。

しかし、旅行が好きでなかった時代が長いので、あまりいろんな土地に行ったことがない。

なんで旅行が好きでなかったかというと、単に出不精だったから。出不精はデブ症とはよく言ったものである。

一人で旅行できる人に憧れがある。羨ましいなあと思う。私は絶対無理だ。

…と長く思ってきたが、最近はそうでもないと感じるようになった。私は案外一人旅が好きになるかもしれない。そんな気がする。現実に、5歳の娘を置いて一人で旅に出かけることが不可能だからそんなふうに思うのかもしれない。

本書で著者は、そんな私の憧れを体現している。
30代の女性が月に一度、都道府県を一箇所旅をする。すごく面白そうだ。そんなこと考えもしなかったが、自分もいつかやってみたいと思わせられる。

しかし、読み始めてみて、何か違うなと思った。著者がまったく旅行を楽しんでいないので、読んでいて少し辛く感じた。時々、私などには唖然とするような行動に出ている。

それは、食事のこと。著者は魚介類が好きではないという。しかし、旅先で名物だったりすると、無理して海鮮丼を注文してみて、食べられず後悔したりする。

なぜ注文する? 嫌いなのに? ワケがわからない。

食べられないで残すならまだ良い。残したら申し訳ないと思って、ハンカチに包んでカバンに隠したりするのだ。理解できない。もし私が、一人で来ている人が海鮮丼をハンカチに包んでカバンに入れているのを目撃したとしたらぎょっとするだろう。

同じような失敗を繰り返している。仙台では名物の牛タンを並んで注文し、やっぱり牛タンは嫌いなので食べられない…となる。このときは残して立ち去っている。好きじゃないのに並んでまで注文してみようとするのがよくわからない。

何回かこういう失敗を繰り返し、もう旅先だからといって名物を食べようとするのはやめようと決意する。そしてホテルの部屋でコンビニで買ったものを夕食にしたりする。

極力、地元の人と触れ合わないようにしているのも私からすると???な姿勢だ。
そして、終始一人であるということを意識しすぎて自意識過剰になっている。読んでいて痛々しくて気の毒になってしまった。

三重県や京都府、滋賀県など、私にとって縁のある、多少は知ってると思える県のどこに行ったのか、わくわくしながら読んでみると、
「ここに行くか? わざわざ? なんで?」
と思うところばかり行っている。三重、京都、滋賀、全部そうだったから、他の県の住民の人も同じように感じるかもしれない。

たとえば三重県では松阪の和田金に入ってすき焼きを食べている。普通、行かないでしょ和田金! しかも、生卵が苦手なのにはっきり言えないし。

私は知らない人と話をするのがまったく苦にならないので、関西人だからなのとトシのせいだと思っていたが、著者は大阪出身のほぼ同年代。歳や出身地はあまり関係ないもののようである。

バイキングは落ち着かない。高級店は怖気づいて入れない(でも和田金には入っている)。屋台は緊張する。お酒も飲めない。

運(旅運?)もないのかなあと思う。まつりを見に行ったら終わっていたり、渦潮を見に行ったら渦潮がなくて見られなかったり。

私はあんまり旅行が好きでなく、積極的にしてこなかったが、もしかしたら旅行運はすごくあるのかもしれないと思えてきた。自慢じゃないが、徳島で渦潮を見る船に乗ったときは、まったく何も知らなかったにもかかわらず、一年の中で最も渦潮の見られる月の、もっとも渦潮の見られる日の、最も渦潮の見られる時間帯ドンピシャだったし!

あの、ゼラチンのようなどろーっとした渦潮の光景は今も忘れられない。

しかし、なにか気になる本ではある。ある意味、ちょっと勇気が湧いてもくる。
「こういう感じでいいのだったら、私ならもっといい旅、できるよね?」
というような。

私の夫も好き嫌いが多いが、彼はなんというか、嫌いなものに対して毅然とした態度で接している。
食べられないものはまず注文しない。食べてみようともしない。そして、そんな自分を特別と思っていない。むしろ、そんなもの食べる人間のほうがどうかしている、と言わんばかりである(それは言いすぎか)。

常々、そういう態度はいかがなものかと思っていたが、この本を読んで少し考えを改めた。

この人みたいなほうが、周りはきっと気を使って疲れてしまうな。本人も疲れ、周りも疲れる。でも嫌いにはなれない人。そんな感じの本であった。

そういえば、この著者の作品に『どうしても嫌いな人』というのがあったな。どんなだか、今度読んでみよう。

この著者の『女ひとりで行ってみよう 海外編』があれば、絶対読むと思う。でもそれはない、と明言している著者である。
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by wumingzhi | 2011-05-21 17:42 | 読書
『一瞬の風になれ』の佐藤多佳子初の書き下ろしノンフィクションは、北京オリンピック男子4×100メートルのリレーチームの、2007年世界陸上から北京に向けてを描いた作品だ。となるとこれはもう、読むしかない!

で終わってしまうのもナンだからもう少し付け加えておこう。まさに蛇足。

まだ記憶に新しい北京オリンピックの銅メダル。日本は、アメリカやジャマイカといった強豪国とはまったく違うアプローチでそいつをもぎとったということがこれを読むと良くわかった。ひとことで言えばリレーの練習をするかしないかということだ。個人の力がずばぬけているがゆえにリレーにあまり力を入れられないアメリカやジャマイカ(北京ではどちらもバトンパスがうまく行かず決勝には進めなかった)といった国の選手たちも、もしこれを読んだらリレーという種目の全く異なる魅力に気が付いて「オレたちももっと練習しようぜ」って言い出すかもしれない。日本人としてはそうならないことを祈るばかりだが。

この作品が取り上げている期間は2007年8月大阪陸上から2008年春までなので、これが書かれた時点では当然まだ北京での結果も出ていないし、それどころかオリンピックでリレーを走るメンバーも確実には決まっていない状態だ。

出版されたのが7月30日なので、出てすぐに読んでいればオリンピックを見るときのいい予習になったし気分も盛り上がっただろうが、不幸にも私がこの本の存在を知ったのは先週末のことだった。
この本はすごくおもしろいのだが、読後、少々山場に欠けるなと感じたのはあくまでも北京オリンピックという最大の山場の直前で筆が置かれているためだろう。これを読んで、北京を見た。なら最高だったのに。

というわけで著者にリクエスト。今度は2008年春から夏のノンフィクションを書いてください。それも今すぐに。

印象に残ったことなど。

2走のポジションで待っている時、1走がスタートを切ると「原付バイクが全速力でブーンと走ってくるのを構えて待っているみたいで恐い」(末續)のだそう。
3走の高平によると、2走の末續を待っているのは「野球を出来ない人がキャッチャーをやらされて150キロのボールを受けるようだ」ということだ。そんなにすごいものなのか。

伊東浩司によると、持って生まれた身体の素質というベースが必要なのは、100メートルだと11秒前後くらいまでの話、なのだそうだ。「素質だけで10秒0というのは聞いたこともない。10秒5くらいで走る人はいるかもしれないが、そこから先はそれぞれの努力が必要になってくる」。
これには驚いた。私はまったく逆のことを思っていたからだ。11秒切るくらいまでは努力で、そこから先はただ持って生れた肉体の素質オンリーの世界だと思っていた。
これが事実だとすると、なにか勇気の出てくる話ではないか。自分もがんばれば何かできるかもしれない、という気がしてくる。今から100メートル11秒で走れるわけはないけれど、まあそれ以外のことででも。
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by wumingzhi | 2008-09-26 23:17 | 読書
村上春樹の新訳によるトルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』。村上ファンである私、さっそく購入して読んでみた。
読んでびっくりした。すごくおもしろい。こんなに素敵な小説だったなんて。以前に読んだときは、どうも身を入れて読んでいなかったとみえる。

作者自身が映画化の際のオードリー・ヘップバーン主演には納得していなかった、というのは有名な話だが、私は読んでいて、ホリー・ゴライトリーには作者の望んだマリリン・モンローでなく、アンディ・ウォーホルのミューズだったイーディことイーディス・セジウィックが思い浮かんでしかたがなかった。まさにイメージぴったりだと思うのだが。

収録されているその他の短編では『クリスマスの思い出』がとても良かった。スタバで読んでいたのだが、最後の2ページは涙を押さえるのに苦労した。
これを読んだ後、本屋で新潮文庫で『クリスマスの思い出』を部分的に立ち読みしてみたのだが、最後のところ、正直この訳では涙は出ないなーと思った。
子供時代の思い出の物語なのだが、村上訳は大人である作者が子供時代を回想しているというスタンスで訳されている。でも新潮文庫版では子供の語り口で訳されているのだ。原文にあたっていないからわからないけれど、これは大人の立場から語られて初めて輝きだす小説ではないだろうか。翻訳の力って大きいと思った。

これがきっかけになって、今ちょっとカポーティにはまって読み漁っている状態。一人の作家にこんなに興味を覚えてのめりこむのは久し振りの感覚だ。今私が学生だったら、卒論のテーマは絶対カポーティになっていただろうと思う。
と書いて思ったのだけれど、別に学生じゃなくても今からでも、一人の作家について研究しても全然構わないのではないか。大学でなければ勉強できないってわけでもない。実際、学生の頃なんて全然勉強しなかったし。発表するわけでなくても自分で研究論文を書いたっていいじゃないか。
そう考えると楽しくてワクワクしてしまう。同好の志と読書会なんてしてみたいな。
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by wumingzhi | 2008-03-16 20:54 | 読書
自転車レースを題材にしたミステリー小説である。主人公が23歳くらいと若くて、読後感も爽やかなので、青春/スポーツ小説とも読める。

はっきり言って、自転車のロードレースなんてまったく知らないし見たこともない。自転車には乗りたいと思っているが、新しく購入する自転車を普通のママチャリにするか、電動アシスト付きにするかで大いに迷っているレベルである。

ま、しかしTARZANの読書欄で本書が取り上げられていて大いに興味をそそられて早速読んでみたのである。

『一瞬の風になれ』を読んで、すっかり陸上のリレーのことがわかったような気分になった私。
本書を読了してロードレースのことならなんでも訊いて頂戴状態になった、、、とは言い難い。が、ロードレースに興味をそそられたことは確かだ。もしテレビで中継されるならぜひ見てみたいと思った。あまりないらしいけれど。

しかし、自転車レース見てみたいという気にはなったし、小説自体もとても面白かったのだが、自転車ロードレース、(もしどんなスポーツでもこなせる人間に生まれ変わったとしたら)自分もやってみたくなったかと訊かれたら、答えははっきりしている。

「絶対にNO!」

読んでいて、「あーいやだいやだ、こんな世界」とずっと思っていた。

初めて知ったのだけれど、というか自転車ロードレースという存在そのものを意識したのがこれが初めてだからなのだが、この競技は個人競技のように見えてそうではない。ひとつのチームの中に、優勝を狙う選手とそれをアシストする選手というふうに完全に役割が分かれるらしい。賞金は分配されるが勝者として名前が残るのは先頭を切ってゴールした選手だけ。
もしチームのエース選手の自転車がパンクしたら、アシストの選手は止まって自分のホイールを差し出さねばならない。
これってマラソンで言うなら、優勝候補選手のシューズに穴が開いたら同じ実業団チームの他の選手を呼び止めてそのシューズを奪ってレースを続ける・・・みたいなもん? アシスト選手だって別に優勝してはいけないという決まりがあるわけではないのに。

こんな競技、私なら絶対耐えられない。仮に自分が優勝狙いのエース選手であってもだ。いや、もしそうなら余計にいやだ。他者(しかも苦楽を共にするチームメイト)を踏台にして平然とゴールするなんて。

そしてこの小説は、それがテーマである。タイトルのサクリファイス(犠牲)はアシスト選手の犠牲的働きのことでもあるし、そしてもうひとつ・・・おっと、これ以上は書けない・・・。このタイトルの二重の意味を知ったとき、感動が訪れる。うーむ、よく出来た小説である。

主人公の「ぼく」(=白石誓)は(たぶん)23歳、自転車を始めて6年目くらいになる。高校まではインターハイで優勝するほどの陸上中距離選手だったが、トップでゴールすることの意味が見つけられずにいたところ、「トップでゴールする必要のない(者もいる)競技」である自転車ロードレースと出会う。

実業団チームの先輩エース石尾は以前に平然と他の選手を潰したという噂がある。その先輩といつぶつかるかわからないナマイキな同期、伊庭。そんな不穏な空気を感じながらも主人公・誓はアシストをこなすことに喜びと面白さを見出していく。

最後にすべてが明らかになると、ある登場人物に抱いていた印象が、がらりと変ってしまう。だから思わず再読せずにいられなくなった。

そして主人公である誓も好ましい。好ましいというか、三人称で語られていたとしたら相当かっこいい奴だ。一人称なのでその点はぐっと控えめに描かれているが。
はっきり言って245ページの本書は短すぎてその点だけは物足りなかった。『一瞬の風になれ』のように3分冊とまではいかなくても、もっと主人公の日常とか、物語とは直接関係のないディテイルを書き込んで欲しかった。もっと誓が知りたくなった。

続編希望!
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by wumingzhi | 2007-10-07 22:30 | 読書
読みながらずっと、奇妙な感覚にとらわれていた。
「これ東野圭吾でしょ? いつミステリになるの?」
もしかして『秘密』のような、非ミステリ系作品なのか? でも殺人事件が絡んでいるし・・・。

半分・・・いや5分の3過ぎたあたりからミステリらしくはなってきます。でもミステリとして読むより不倫小説と思って読んだほうがしっくりくる。ただ、私個人は主人公の僕もヒロインも非常に魅力的とはどうしても思えなかったので、少し感情移入しづらかった。

「東野圭吾の新境地にして最高傑作」というのはいくらなんでも言い過ぎ。新境地はともかく、もっと面白い作品がいっくらでもある、東野圭吾には。それでもやっぱり、読み始めると最後までずんずん読み進まずにはいられないのはさすが。
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by wumingzhi | 2007-07-07 23:33 | 読書
上・中・下の三巻。これを購入するとき一瞬、「とりあえず今日は上巻だけ買おうかな」という考えが頭をよぎったが、思い直して3巻とも買って本当に良かった。
とにかく結末が知りたくてページを繰るのももどかしい。しかしこの物語が終わってほしくない、永遠に読み続けていたいという矛盾。

高校で陸上を始める少年が主人公の青春小説である。
青春小説というと、主人公の恋やら悩みやら、いろいろ出てきそうである。が、この小説はそうではない。もちろん気になる女の子の存在や、天才サッカー選手である兄への複雑な感情・・・いろいろあるけれど、それらは脇筋にすぎない。とにかく陸上、短距離についての小説である。それはもう、潔いと言っていいくらいに。文体は軽くて親しみやすい語り口だが、内容は骨太なのだ。

下世話な人間である私は始め、主人公の新二と親友の連が(どちらも男子だけど)そういう関係になるんじゃないかと思っていた。だから連に女の子のカノジョができたりしたときはちょっと意外な気がした。私は毒されているなあと思った。だからこの小説がまぶしかった。
この小説はそういう下世話方面はほとんど無視で、ひたすら陸上オンリーと言っていい。

陸上の経験のなかった少年が、ふとしたきっかけで高校で陸上部に入部することとなる。潜在能力はあるが短距離のことを何も知らなかった一人の男の子が高校3年間(というか2年数ヶ月だけれど)を経て部長にまでなる。その間の心や体の成長が丁寧にじっくり書き込まれているので、読んでいるほうもなんだかすごく短距離走について詳しくなった気になる。主人公たちと一緒に成長して行っているような錯覚に陥るほど。実際、これを読んだら自分も「一瞬の風」になって走れるような気がしたくらいだ。

私が人並みの運動神経があってもう一度高校生をやり直すとしたら、今度は運動部に入ってみてもいいなあと読後思った。こんなふうに何かひとつのことに打ち込める人がうらやましい。

私はクラブ活動には中学高校を通じて(ついでに言うと大学もだが)ほとんど参加したことがない。一人の時間が好きだった。一人で読書したり音楽を聴いたりするのが好きな暗い少女だったのだ。でもこの小説の登場人物たちのような青春を過ごしていた人もいるんだろうなあと思うと、それもいいなあと思えてくる。
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by wumingzhi | 2007-06-19 17:00 | 読書

自虐の詩、映画化!!

『白雪の詩』というセッケンがあるらしい。私はそれを『自虐の詩(ウタ)』と読み間違えてしまったくらいのファンである。それはともかく、映画化である。

主人公ゆきえは中谷美紀だ。うそっ、あんなに美人じゃないはずだぞ。しかしまあ、メイクと演技でなんとかなるかな。
そしてイサオはなんと阿部ちゃん。違うー、なんか違う。阿部ちゃんみたいに背が高いはずがない。

一番の問題は、熊本さんは誰がやるのか? である。公式サイトではまだ明らかにされていない。熊本さーーん。彼女のことを考えただけで涙が出るのだ。そんじょそこらの女優さんではだめだ。熊本さんだけアニメっていうのはどうだろう。変か、やっぱり。
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by wumingzhi | 2007-06-19 16:18 | 読書

ひなちゃんの日常

ひなちゃんの日常は産経新聞に週1で連載されているマンガである。と言っても私は読んだことがなく、全く知らなかった。1巻の重版出来の新聞広告を見て、「あ、読んでみたい」とちょっと心にひっかかるものがあったのでさっそくアマゾンで1、2巻を注文してみた。

GWに実家から帰ったら届いていた。
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面白かった。夫も読んだ。Kを押し付けあいながら1巻2巻を交互に読んだ。

ひなちゃんは3歳の女の子。パパとママ、ネコのタマとの3人+1匹家族。大好きなおじいちゃんやおばあちゃんもよく遊びに来てくれる。近所の人もみんなひなちゃんが大好き。パパやママに甘えたり、花や小鳥や昆虫を見たり、お隣に回覧板を持っていっておやつをもらってお返しに肩を揉んであげたり・・・。

そんな素直で優しいひなちゃんの目を通した日常が描かれている。
ひなちゃん、ちょっと優等生すぎないか? 子供は本当はもっと残酷で意地悪な面もある。という気もするけれど、読んでいると「うちのKもこんな心の優しい女の子に育っていってほしいな」と自然に思う。
ひなちゃんが優しいのは、ひなちゃんのママやパパ、おじいちゃんやおばあちゃん、周りの人がみんな優しく暖かいから。私も読んで反省した。ひなちゃんのママのように優しくなりたい。

パパの出番も多くて、夫も共感して笑ったり泣いたりしていた。

読み終わって、娘を抱きしめたくなった。そんなマンガである。
(読んでいるときは夫とKを押し付けあっていたって? 勝手な親ですんません。)
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by wumingzhi | 2007-05-07 10:28 | 読書

Weekend a Paris  猫沢エミ

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この本の著者、猫沢エミのことはほとんど知らない。ミュージシャンらしい・・・でも歌聴いたことないな。『天然生活』にパリ生活のことを書いていたっけ。でも読んでなかった。なのに現在血中パリ値上昇中につき、先入観もなにもないままいきなり買って読んでみた。

おもしろかった。夢中で読んでしまった。
HP内日記の書籍化だけれど、私はやっぱり紙の本で読むのが好きである。ただし本は抜粋になっている。

内容は、アーティスト(ミュージシャン)である著者がパリで暮らすことを決意して、飼っている猫を実家に預けるところから始まる、2002年から2003年の日記。
すったもんだの挙句、結局猫はパリに連れて行くことになったのだが、まだパリに行く前のこの部分から早くも引き込まれてしまった。文章はもちろん、著者の精神のたたずまいが良い。

パリで暮らす日本人アーティストっていうと、なにか特別な人のような気がする。少なくとも私からすれば、何か特別なことを考えている選ばれた人、のように思える。
が、この日記を読むと、「アーティストっていっても普通の生活人なんだ」と思えた。この著者はすごくまっとうできちんとした精神の持ち主だ(アーティストという人たちがいい加減だという意味ではないが、少なくとも早起きしなさそう・待ち合わせに遅れそう、なイメージはある)。

言葉の不自由な状態で外国で暮らすことの大変さがひしひしと感じられた。

たとえば洗濯ひとつにしても、洗剤の箱に書いてあることも読めなきゃ洗濯機の操作方法もわからない。むこうではカップに洗剤を入れてカップごと洗濯機に放り込んで洗うとか。そんなの知ってなきゃゼッタイわからないよ。

もし私が今フランスに行ったら、洗濯もできない。まあ、洗濯できなかったらやらないでおくか。下着は手で洗う。下着以外は洗わない。それでも死にはしないだろう。
では電話は? 公衆電話の掛け方とか、携帯電話の契約とか、どないすんの? ジュヌセパー!

これが英語(あるいは中国語でも・・・と思いたい)なら、なんとかなるだろう。公衆電話をかけたりランドリーで洗濯するくらいは私でもできると思う。
不自由な言語の中で暮らすことの大変さが、読んでいて身にしみた。もっとも著者はパリに移り住む時点でカタコト以上のフランス語は話せたようだが。
そしてフランス語学校に通い始めると、朝5時に起きて勉強して、毎日9時からの授業にも休まず通う。体調不良にもストにもめげず。授業は9時から3時まで。そして個人レッスンも週に1~2回。本当に真面目に勉強している。エライなあ~。私もがんばらねば、とちょこっと燃えた。

もともと体の弱い人なのか、あるいはパリの気候のせいなのか、よく病気になっている。
もし私だったらどうするね? 普段ほとんど病気しないので、異国で病気になり医者にかかるということがどういう感じだかうまく想像できない。

そして、暮らしの上での手続きや契約関係がフランスでは何もかもスムーズに運ばないということを初めて知った。イタリアはそうなのかと思っていたが、フランスよ、おまえもか。

ただでさえ手続き関係の苦手な私である。苦手なことを、やってくれない相手に、できない言語で行う・・・。眩暈。やっぱり私はフランスで暮らすのは無理だな。パリ移住計画はあっさり崩れた(そんな計画、あったのか?)。

何もかも便利な日本。宅配便の不在配達の連絡も電話機の数字を押すだけで一言も喋らないで済ませることができる。
だから日本人のコミュニケーション能力は劣っているのかな。
やっぱり言葉は基本だよな。何をするにしても。

私もがんばらなくちゃ。と、何をがんばるのかはわからないがそう思った。
そしていつかKを連れてパリを訪れてみたいものだ。とりあえずは旅行者として。

パリに興味がある人、フランスに限らず留学したい人、アートやアーティストという生き方に興味がある人にお勧めの本である。
アンダーラインを引いておきたいような文章が随所にある(「あきらめ(気持ちの切り替え)と忍耐を繰り返して3年がんばってみると何かが見えてくる」等。もっとも、これは著者の友人の言葉だが)。
くりかえし読みたいお気に入りの一冊になった。
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by wumingzhi | 2007-01-18 14:49 | 読書

いつの間に?

スタバの後、本屋に寄る。遅ればせながら『のだめカンタービレ』を読んでみようかと思い、1,2巻を購入。
おもしろくなければそれでいいが、もしおもしろかったらどうしよう。全部買って読まないといけないの? 16巻まで出てるんでしょ。怖いなあ。

他にも雑誌や料理の本を購入して、夫と娘のところに行こうと文芸書のコーナーを通ったら。

な、なんと!?

村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』が出ていた。

60歳になったら、って言ってたじゃない。いつの間に訳してたのですか。

それにしても。11月10日初版発行と書いてある。ということは11月早々くらいには書店に並んでいたはずなのに。まったく知らなかった。新聞広告に出ていたかなあ。なかったんじゃないか? 気付かなかっただけか?

軽くショックである。たとえて言うなら往年のビートルズファンが、数年前の"Let It Be…Naked"の発売を全く知らなくて、一月ほども経ったころ店頭で初めて目にしてショックを受ける、くらいのものだ。
なんで知らなかったんだ? 知らなかったのは私だけ? という取り残され感。

ようやく立ち直って手にすると、オビの裏に 愛蔵版同時発売 の文字が。
私が手に取ったのは新書サイズで820円。愛蔵版もあった。紙函入りで2600円。愛蔵版か新書版かすごく迷ったけれど、新書版にした。本は読むもの。飾っておくものじゃなし(とはいえ読まずに買うだけで満足することも多々ある)。
しかし新書版と愛蔵版と同時に発売するってどういうこと? 親切なのかなあ。
でもなんとなく、この小説に関しては個人的に文庫や新書サイズで読むのがしっくりくる気がする。中学生の時分に読んだのは新潮文庫だったし、ペリカンのペーパーバックも持っていたし(読んでない)。
ちなみに、私の持っていた新潮文庫版はロバート・レッドフォード主演の映画に合わせてカバーは映画のワンシーンの写真が載っていてタイトルは『華麗なるギャツビー』。そしてカバーをはずすと文庫本体には『グレート・ギャツビー』の文字が。
(どうでもいいけど映画には子供の頃のパッツィ・ケンジットが出ている。5歳くらいかな。)

でもこれも、スタバのチョコとおんなじで、読みたいような読みたくないような、だ。読んだら終わるし。

キャッチャーもギャツビーも訳されてしまった。でもあとまだ『長いお別れ』が残っている。村上版『ロング・グッドバイ』、これ絶対読みたい。

2007年1月16日追記
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by wumingzhi | 2006-11-29 15:50 | 読書