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三重県津市でヨガを教えています。ヨガのことだけでなく、日々のいろんなことを書いていきます。


by NAO
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『お母さんという女』

昨日は母の日。
実家の母にプレゼントを送ったり、電話したり、等特別なことは何もしなかった。先日実家に帰ったときも、母の日プレゼントの先渡しもせず。強いて言えばスーパー銭湯の入湯料をおごったくらいか。ちなみに、ごひゃくえんなり。

元々私は母の日のプレゼントを贈ったりする習慣はなかった。しかし義母には毎年花を贈っていた。その義母も今年はもういない。

そんな母の日の昨日、益田ミリ著『お母さんという女』知恵の森文庫 を読んだ。
母の日だから読んでみた、というわけではなく、たまたまである。
日曜日の新聞にこの著者がコラムを連載しており、昨日のコラムにこの自著のことが書かれてあったのだ。しかしコラム中に本のタイトルや出版社が紹介されていたわけでもなかった。

それを読んだあと本屋に行ったら、たまたまその本を見つけた。著者のお母さんにまつわるエッセイとマンガから成っており、マンガを数編立ち読みしてみて、文庫だったので気軽に買ってみた。

新聞コラムには、「お母さんに関するエッセイ本を出したら読者からの感想ハガキで『泣ける』という意見が多く寄せられ、自分としてはまったく泣ける本を書いたつもりはなかったのでまるで解せない」という内容だった。

読んでまず、著者のお母さんという人はすごく優しいお母さんだ、と思った。大阪の人なのだが、大阪のオバちゃんに代表されるようなアクの強さというものはない。心優しい、おっとりとした、普通のお母さんだ。
そして、そんなアクの強くないお母さんのことを書いてあるせいか、著者の文章やマンガもアクがない。ちょっと拍子抜けしてしまうほど淡々としておりあざとさがない。普通だったらもうちょっと笑えるようにどぎつく書けるかも、とすら感じる。素直で、ちょっとスパイスが足りなさ過ぎるかな、という気もしてしまう。が、このお母さんだからこれでいいんだ、と思わせられてしまうのである。

うちのママンも大阪の女だが、著者のお母さんと較べるともっとアクが強いキャラだと思う。うちのママンはこんなにおっとりしていないし、心優しくもない。

けれど、読んでいて、「そうそう。うちのお母さんもだ」と何度も思った。

母が良かれと思ってやって自慢げに語ること(たとえば旅先で冴えないキーホルダーを買って喜んでいる、等)を軽く批判する私(そんなのださいよ。そんなみやげ物、買う人の気が知れん)。母、ちょっとしょんぼりする。後で思い出して、あんなこと言わなければよかったな、と激しく後悔する私。母が気に入っているのだから、褒めてやればよかったのに。
でもしばらく経ってからそのことを持ち出して、あのときはキーホルダーをばかにしてごめんなさい、と謝っても、母はそんなことはすっかり忘れているのだ。
うちの母はそういう人なんだと思っていた。でもたぶん、お母さんという人種はそういう人たちなんだろう。

自分の子どもに傷つけられることなんて、子どもが生まれてからこれまで、数え切れないほどあったに違いない。お弁当を批判したり、買ってくれた服を気に入らずに着なかったり。
わかっていることだけでもいろいろあるのだから、たぶんいまだに気付いていないことで母を傷つけたことは数知れずあるに違いない。そんなことをいちいち記憶にとどめていてずっと傷ついたままでいたら、お母さんという職業はつとまらない。だから私の言動をあまり深刻に受け止めずに、軽くいなして忘れてくれているのかな(しかし、忘れて欲しくないことまでもよく忘れられていたけれど)。

そして私は親に対して、素直にお礼を言ったり謝ったり、ということができていないと思う。親にお礼を言うということは難しい。まあ何というか、こう言ってしまえば身も蓋もないが、言葉には尽くせないほどの恩があるからだ。

将来がんばって介護をしなくっちゃね~、とこの本を読んでちょっと思った。でもその前に、ずっと元気で飛び回っていてほしいものだ。
by wumingzhi | 2005-05-09 18:08 | 読書